In this post, I'd like to briefly describe what Mr. Ikoma told us . ことでは、生駒様のお話をごく簡単に紹介したいと思います。
Mr. Ikoma is a very well known speaker (kataribe) on Minamata disease. 生駒様は水俣病の語り部の中でも有名です。The poster on the left is for a symposium that was held in Tokyo in the Spring of 2008. 左にあるのは2008年の春に、東京で行われたシンポジウムのチラシです。(ここをクリックすればオリジナルのpdfをダウンロードできます。)す。Mr. Ikoma is featured along with well-known people such as playwright and novelist INOUE Hisashi and music critic Peter Barakan. 生駒様は文化功労者の井上ひさし氏やピーター・バラカン氏と一緒に水俣病について話しました。It was a great honor for us to be able to meet with Mr. Ikoma on such short notice. 急なお願いであってにも関わらず、生駒様にお会いできたことは私たちにとってたいへん光栄でした。
Mr. Ikoma began by introducing himself to us. はじめに、生駒様は自己紹介をしてくれました。He discussed his birth in what is now North Korea where a Chisso factory was located, the death of his mother, and the stroke that his father suffered after returning to Minamata. チッソの工場があった現在の北朝鮮で生まれたこと、早くお母様をなくしたこと、お父様が脳梗塞で倒れたことを説明してくれました。His father's stroke stroke led their family to move to a fishing village called Modo. お父様が脳梗塞で倒れたことがきっかけとなり、茂道という漁村に引っ越すことになったそうです。Eating the many fish contaminated with mercury in Modo caused him to come down with Minamata disease when he was in junior high school. メチル水銀に汚染されていた魚を茂道でたくさん食べて、中学校時代に水俣病を発病したそうです。
Mr. Ikoma smiled as he discussed his suffering. 生駒様は笑顔で、どのように苦労したかを説明してくださいました。We were all very impressed with his positive attitude. 生駒様の明るい、前向きな姿勢に感銘を受けました。Thank you very much! ありがとうございました。
1 comment:
「ほたるの家」への私たちの訪問などについて、ゼミ生が「目に焼きつけ、心に焼きつける水俣病の事実」という投稿で次のことをを書きました。「ほたるの家では、水俣病が次第に症状が出るのではなく、急に全身を虫が這うような痺れに襲われるということに驚きました。長い歳月による蓄積で、徐々に酷くなるのかと思っていました。急にしゃべれなくなったり、目が見えなくなることはどんなに恐ろしいか想像出来ません。」
Post a Comment